負の連鎖はここで止めよう。
うちはすごく複雑だ。
物心ついた頃には「うちは貧乏だ」と気付いていた。
弟は「ゲームが欲しい」「ハンバーグが食べたい」「今度ディズニーランドに行きたい」と、両親に自分の欲を自由にぶつけていた。
わたしはというと、全部我慢していた。
何をするにもお金が必要で、うちにはそのお金が十分にないことを知っていた。
何故気付いたのかは分からない。
でも、うちにはお金がないことを知っていた。
大学へは行かなかった。というより、行けなかった。
お金を出してもらうのが申し訳なかった。
バイトはしていたけど、大学へ行けるくらいのお金は貯めていなかった。
大学は行きたかったけれど、本当に行きたくなった時に自分でお金を貯めて行こうと思った。
高校を卒後し、7割くらいの同級生は大学へ行った。ずるいと思った。
サークルに入って新しいコミュニティができて、適当に授業を受けて。今までの友達が離れていく気がした。わたしは置いてけぼりで、楽しんでいる友達を見て、街中にいる大学生を見て、いつも呪っていた。ずるいと思った。
それでも不思議と不幸ではなかった。
お金はないけど、いつも楽しかった。
お金がないからいろんなアイデアが生まれた。
ちょっとの贅沢で誰よりも幸せだと感じられた。
一人暮らしをして、結婚をして、
家を出た今もやっぱり実家は貧乏だ。
不満や愚痴はいつもある母だけど、この母だからやってこれたと思う。
うちの両親はバツイチ同士だ。
父は2人の子供がいたけど、母は子宝には恵まれなかった。
父が母にゾッコンだったらしい。
家庭を捨て、一緒になった2人。
わたしの母子手帳を見ると、父の苗字と母の旧姓、それから母の前の旦那さんの苗字と、全部で3つ苗字が書かれている。
(あぁ、離婚前にわたしができてしまったんだ)
とここで分かる。理解できたのはもっとずっと後だったけど。
結婚をして、新しい苗字になった。
わたしは4つの苗字を使ったことになる。
すごく贅沢だ。
わたしは両親が好きだ。弟も好きだ。
寡黙な父と、夢見がちな母、ゴリラに似た弟が好きだ。
仕事でなかなか家にいない父はたまの休みに遠出をしてくれた。
いろんなところへ、いつも車で出かけた。
ディズニーランドは数え切れないほど行った。外食も多かった。
口数は少ないけど、わたしたち兄弟をそっちのけでいつも全力で遊んでいた。
母は起伏が激しく、感情が高ぶりやすい。人より苦労したせいかいろんな感情を持っているし、欲しい言葉をかけてくれる。ファンシーな性格も、辛い気持ちを隠すためだろう。だけどいつもその明るさに救われる。
弟に対しては特にコメントはない。
それでもとにかく、弟が弟で良かったと思う。姉思いのいい弟だ。
晴れの日も雨の日も、毎日外に出た。
特に雨の日は弟と2人、レインコートを着て泥だらけになりながらいろんな虫を見つけた。花を探した。
お金はないけど、誰よりも遊び方を知っている。
今も十分なお金はないけれど、それでも幸せだ。夫と息子、2人に囲まれて幸せだ。
裕福な暮らしをしてきた夫には、わたしの貧乏遊びを教えてあげる。新鮮に楽しんでくれる夫だけど、貧乏生活ゆえの遊びということは知らない。知らなくていいし、知ってほしくない。
息子にはお金がないことを悟られないようにしたい。
お金がなくても幸せだったけど、できれば余計な心配をかけたくない。
それでも万が一、悟られてしまうことがあるならば「お金がなくても十分幸せだ」と思えるよう、母のような母になろう。