お肌のために、セックスは重要
昨晩、何ヶ月かぶりにセックスをした。
もちろん相手は主人だ。
息子を出産してから数えるほどしかセックスをしなくなった。
母である前に妻のわたしは、女をまだまだ捨てていない。
ジャージで過ごすこともないし、一日中すっぴんでいることもほとんどない。
美容院にも行くし、ピアスだって毎日つけている。
でも、セックスとなると別だ。
授乳をしていた頃は胸に触れられることでさえ嫌だった。息子のためのもの、とまでは思っていなかったけど、何故だかとにかく触れられたくなかった。
主人はとても優しい。気遣いもできる。セックスに関しては、回数よりも濃度を大切に思っているようで、毎回しっかり愉しませてくれる。
主人とのセックスは好きだ。と言っても、わたしは主人とその前の彼しか経験はないのだけれど、これはきっと相性が良いってことなんだろうと漠然と思っている。
触れてほしくはないけど、セックスはしたい。そんな時期が長いこと続き、優しい性格の主人はあまり求めてこなくなった。決して草食系ではない。ちゃんと性欲はあると思う。
求められることがなくなったのはわたしのせいだ。触れてこられても素っ気なかったし、嫌だとはっきり拒否することもあった。
わたしが悪い。それなのに、求められないことはすごく悲しかった。
わたしだって好きで性欲がなくなったわけじゃない。本当は肌を合わせたい。だけど気持ちが乗らない。萎んだ体を見せたくない。そんな気持ちばっかりだった。
授乳が終わり半年以上経った今、わたしの性欲は少しずつ戻って来ている。そんな昨日のセックスはお互いに少しの照れと緊張があった。初めて体を重ねた日から変わらず、最初から最後まで優しく愛してくれる。
心地よい寝不足の朝、主人を見送り化粧をする。驚くほど化粧ノリが良い。
たった一回のセックスでこんなにも調子が良い。女の体はそんなもんだ。
お肌のために、定期的にセックスをするのは重要だ。
次はわたしから誘ってみよう。お肌のため、というのは伏せておいて。
期間限定の野望〜BA編〜
昔から飽きっぽい。
楽器に触りたくて初めて入ったクラブは金管クラブで1年で辞めた。
あれ作ってみたい!と始めた手芸は3日と持たず、完成せぬままゴミ箱に行った作品たちは数知れず。
現にこのブログだってすっかりご無沙汰だ。
飽きっぽいのとめんどくさがりなのがわたしの性格の大半を占めている。
この歳になってもメイクは落とさず寝ることなんて当たり前で、化粧水や乳液だって1年に何回かしか付かなかったし、今だって髪はドライヤーで乾かしたりしない。
そんなわたしがここ2カ月、化粧水と乳液をつけている。
これは本当にすごいことだ。
そもそもわたしは肌が強くない。
適当に見立てた化粧水や乳液で何度かゆい思いをしたことか。
「なるべく安価で!」と怠った結果、何もしないに辿り着いてしまう。
しっかりケアしよう、と思ったのは、もうすでに孫が3人もいるある女性から言われた言葉。
「あなたは美人だし今は若いから大丈夫!なんて思っているだろうけど、あと何年もすれば今の自分を恨むことになるよ。未来の自分のための投資だよ」
これは非常に響いた。
未来の自分のための投資なんて考えたこともなかった。
今が楽しければ、今が幸せならば、今楽していられるならそれでいいといつも思っていたわたしにとって、未来の自分なんてどうでもよかったからだ。
ハッとしたわたしは次の日、急いで化粧水と乳液を買いに走った。
まずは自分の肌に合うものを見つけなくては、とひたすらネット情報を鵜呑みにし、手に入れたのは無印良品だった。
これなら安価で手に入り気に入ったらリピートしやすい、それにこれだけ多くの人が手に取るものだから、自分の肌にも大丈夫だろう、と最初から大きいサイズを購入した。
始めてから1週間、肌トラブルが減った。化粧ノリがよくなった。
これはいいぞ…もっとやりたいぞ…とスキンケアにハマり、同じく無印良品で導入液を購入した。
有難いことに実母の仕事関係で、高級美容クリームはたくさん手元にある。
化粧水はたっぷり、高級美容クリームはしっとり程度につけて寝る。
最近は少し面倒になる日も増え、どハマりしたあの1カ月よりは怠ってしまっているけれど、それでも一応、続いている。
化粧ノリが良くなると化粧品が欲しくなる。すると、今まで全くつけなかったルージュを引くようになった。
それもなるだけダークでディープな赤い色を。
これだけでグッと女度が増した気がして毎日が楽しくなってきた。
今日は友人へプレゼントを買いにデパコスを見物しに行った。
高級メーカーひとつひとつをじっくり見て回り、あぁこれが欲しい、あれも欲しい、ひたすら己の欲と戦った。
BAのお姉さんはとても綺麗だった。お肌の構造がわたしと違った。触れずとももちもちのすべすべなことが分かった。
目指すところはBAだ。
わたしは今猛烈にBAになりたい。
パリッとした制服を身に纏い、カチッと髪型をキメて、もちもちすべすべ肌にカラフルなメイクを施して、凛とした立ち姿のBAになりたい。
これもきっと、またすぐ飽きるんだろうけど。
負の連鎖はここで止めよう。
うちはすごく複雑だ。
物心ついた頃には「うちは貧乏だ」と気付いていた。
弟は「ゲームが欲しい」「ハンバーグが食べたい」「今度ディズニーランドに行きたい」と、両親に自分の欲を自由にぶつけていた。
わたしはというと、全部我慢していた。
何をするにもお金が必要で、うちにはそのお金が十分にないことを知っていた。
何故気付いたのかは分からない。
でも、うちにはお金がないことを知っていた。
大学へは行かなかった。というより、行けなかった。
お金を出してもらうのが申し訳なかった。
バイトはしていたけど、大学へ行けるくらいのお金は貯めていなかった。
大学は行きたかったけれど、本当に行きたくなった時に自分でお金を貯めて行こうと思った。
高校を卒後し、7割くらいの同級生は大学へ行った。ずるいと思った。
サークルに入って新しいコミュニティができて、適当に授業を受けて。今までの友達が離れていく気がした。わたしは置いてけぼりで、楽しんでいる友達を見て、街中にいる大学生を見て、いつも呪っていた。ずるいと思った。
それでも不思議と不幸ではなかった。
お金はないけど、いつも楽しかった。
お金がないからいろんなアイデアが生まれた。
ちょっとの贅沢で誰よりも幸せだと感じられた。
一人暮らしをして、結婚をして、
家を出た今もやっぱり実家は貧乏だ。
不満や愚痴はいつもある母だけど、この母だからやってこれたと思う。
うちの両親はバツイチ同士だ。
父は2人の子供がいたけど、母は子宝には恵まれなかった。
父が母にゾッコンだったらしい。
家庭を捨て、一緒になった2人。
わたしの母子手帳を見ると、父の苗字と母の旧姓、それから母の前の旦那さんの苗字と、全部で3つ苗字が書かれている。
(あぁ、離婚前にわたしができてしまったんだ)
とここで分かる。理解できたのはもっとずっと後だったけど。
結婚をして、新しい苗字になった。
わたしは4つの苗字を使ったことになる。
すごく贅沢だ。
わたしは両親が好きだ。弟も好きだ。
寡黙な父と、夢見がちな母、ゴリラに似た弟が好きだ。
仕事でなかなか家にいない父はたまの休みに遠出をしてくれた。
いろんなところへ、いつも車で出かけた。
ディズニーランドは数え切れないほど行った。外食も多かった。
口数は少ないけど、わたしたち兄弟をそっちのけでいつも全力で遊んでいた。
母は起伏が激しく、感情が高ぶりやすい。人より苦労したせいかいろんな感情を持っているし、欲しい言葉をかけてくれる。ファンシーな性格も、辛い気持ちを隠すためだろう。だけどいつもその明るさに救われる。
弟に対しては特にコメントはない。
それでもとにかく、弟が弟で良かったと思う。姉思いのいい弟だ。
晴れの日も雨の日も、毎日外に出た。
特に雨の日は弟と2人、レインコートを着て泥だらけになりながらいろんな虫を見つけた。花を探した。
お金はないけど、誰よりも遊び方を知っている。
今も十分なお金はないけれど、それでも幸せだ。夫と息子、2人に囲まれて幸せだ。
裕福な暮らしをしてきた夫には、わたしの貧乏遊びを教えてあげる。新鮮に楽しんでくれる夫だけど、貧乏生活ゆえの遊びということは知らない。知らなくていいし、知ってほしくない。
息子にはお金がないことを悟られないようにしたい。
お金がなくても幸せだったけど、できれば余計な心配をかけたくない。
それでも万が一、悟られてしまうことがあるならば「お金がなくても十分幸せだ」と思えるよう、母のような母になろう。
埃だらけのヴィンテージボックス
25歳で結婚した。
26歳で出産した。
27歳のわたしはあと2ヶ月も経てば28歳になる。
周りはまだまだ恋愛を謳歌している。
羨ましくはない。いや、ちょっぴり羨ましい。
今思えば、もっといろんな経験をしてもよかったんじゃないかとは思う。
もっとも経験がないわけではないけれど。
初恋は幼稚園の頃。ぽっちゃりとした色白の男の子だった。
小学校に上がるとその男の子はいなくて、あぁあの子にはもう会えないのかと残念に思った。
次に好きになった人は中3の頃。
所謂モテる人ですごく人気があった。
わたしには手の届かない存在だと思い込み、好きにならなかった。
のに、好かれた。
もちろん、この2人以外にも好きになった人はいたし、付き合った人も何人かいる。
でもわたしの中で、本当に好きだったのはこの2人だけ。
わたしが結婚したのは前者、初恋の人だ。
幼稚園のたった2年の間に好きになってそこから疎遠。
SNSの発達した時代に生まれてよかったと初めて思ったのはこの時だ。
23歳の誕生日、彼からメッセージが来たのだから(もちろん彼はわたしが誕生日だとは知らないし、この誕生日は大きな人生の分岐点だった)。
トントン拍子とはよく言ったものだ。
振り返るとすんなり結婚までたどり着いたのかもしれない。
まぁこれはおいおい書いていこう。
好きな人と結婚をして、子供まで授かった。
何も不満はない。
それでも忘れられない人はいる。
初恋の男の子、つまり主人と再会するまでの約10年間は、ずっと中3の彼に恋焦がれていたのだから。
中3の彼がふと夢に出てきたもんだから、鍵をかけたはずの箱がまた開いてしまった。
次はいつ鍵がかかるのだろう。
はじまりは突然に。
たった2年前までは出版社に勤めていた。
昔から本が好きだった。というより、頭をこねくり回すのが好きだ。
ああでもないこうでもない、もしかしたらこうなんじゃないか、いややっぱりそうじゃない。
口下手なわたしにとって、文字にして相手に伝えるというのは唯一自分の思いを伝えるツールだと思う。
そういう意味では出版社に勤めたことは少し良かった。
約5年勤めた出版社は結婚、出産を機に辞めた。
そうするしかなかった。
やり残したことはないし、出版社とはいえ所属部署に思い入れもない。
それでもこうしてブログを始めたのは、まだ未練があるとかそういうことじゃなくて、やっぱりわたしは文字に起こすのが好きなんだろうと思う。
飽きたらやめよう。苦しくなったら逃げよう。
このぬるま湯のなかで足を突っ込んでピチャピチャしてよう。
そのくらいの感じで書いていこう。
やりたいことは早くやろう。